愛甲の架空鉄道あれこれ

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2006年 04月 22日

北総鉄道 モハ1形

【常総電車の始祖】
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モハ1形 7号車

■はじめに
製造初年1925年。
常総急行の前身である北総鉄道が、三ノ輪-野田町間の電化に際して製造した車両。
日車東京支店で7両が製作された。
全長15メートルあまりの小柄な電車であるが、この車両こそが、以後連綿と続く「常総電車の系譜」の始祖である。



■設計コンセプト
電化にあたり、まずは機動性の要求される小運転に電車を活用しようという考え方から、本形式では小運転に主眼を置いた設計がなされた。よって、長距離運転に必要な設備(全室運転台、クロスシート、便所等)は省略されている。
もっとも、鉄道電化黎明期のこの時代、多くの鉄道会社が「長距離列車は蒸機けん引、小運転は電車」という考え方を持っていたため、この時代の電車としてはごく普通の性能と設備を持って生まれたといえよう。

■性能
この時代の電車の例に漏れず、本形式も外国製の電装品を多用している。
制御器はアメリカ・ウェスティングハウス(WH)製の手動加速式(HL)のものを使用。弱め界磁はない。
主電動機もアメリカ製で、出力37kWのものを4個装架している。車体の大きさの割には出力が低く感じられるが、さほど勾配がない北総線ではこれで十分であった。
制動方式はSME。弱め界磁を持たないため最高速度は60km/hであったが、この数値はあくまでもカタログ上のことで、当時の状況ではこの程度の速度すら出す必要はほとんどなかった。
なお、6号車および7号車では試験的に三菱電機製の電装品を使用したが、その電装品も三菱がWHからライセンスを受けて製作したものであるので、部品そのものは1~5号車と互換性があった。
当初は信頼性の点で不安視された国産電気品であったが、試用の結果は好評で、これ以降、北総鉄道は三菱製の電装品を重用することとなる。

■車体・接客設備
車体は木造で、前頭部の5枚窓が特徴的である。
車内はロングシートで、運転台と客室の間に仕切りはなく、「H」の形をした真鍮製のバーで区切られていただけであった。そのため前面展望はすこぶる良好で、その様子は今でもオールドファンの語り草となっている。(これまでの蒸機列車では当然、前面展望は望むべくもなかった)

■最後に
本形式は、北総鉄道で初めて登場した電車であり、登場時は沿線に見物者が集まったという。
また、当時の国鉄は蒸気列車ばかりであったため、乗客からは「北総線は煙が出ない」と好評であった。
しかしながら、電化が境、古河、結城、水海道と進捗するにつれて、長距離運転用の電車(モハ10形50形)が増備され、本形式は早くも1930年代には支線運用に回されるようになった。
ただ幸いなことに、本形式は第二次大戦の苛烈な戦火の中でも1両の仲間も失うことなく活躍を続け、晩年を古河線や水海道線の線内運用や宇都宮線の結城以北の区間運転でのんびりと過ごした。鋼体化すればまだまだ使用可能な車両であったが、弱め界磁を持たないが故の足の遅さと、15メートルと比較的小型な車体が災いしたのか、地方私鉄への供出車両に選ばれた。(当時、車両の荒廃が著しい地方私鉄に対し、大手私鉄から車両が供出されることが多く行われた)
そして1950年から1952年の間にかけて、運輸省規格型電車である100形(のちの11系)ならびに200形(のちの12系)と入れ違いに勇退し、各地の地方私鉄へ旅立っていった。

地方私鉄での引退後、1号車が里帰りを果たし、現在は清水公園駅に隣接する清水検車区に保存されている。
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by aikoh_denki | 2006-04-22 19:07 | 常総急行の車両


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