愛甲の架空鉄道あれこれ

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2005年 12月 06日

金沢への旅-北陸鉄道石川線篇

突然にはじまった連載企画「金沢への旅」も、今日で3日目。
おととい昨日と前座的な話が続きましたが、今日はいよいよ第一の見せ場、「北陸鉄道石川線」のお話に突入です。

今日は画像盛りだくさんでお送りしますゆえ、回線の細い方はなにとぞご辛抱くださいますよう。。。



どうにかこうにか野町の駅に到着することができた私は、待合室でしばしの休憩の後、鶴来行きの電車に乗り込みました。やってきたのは元東急の7000形。中間車を先頭車化したタイプのものです。
改造車ゆえのとってつけたようなお面はお世辞にも美人とは言いがたく、賛否両論あるところでしょうが、これはこれで現在の地方私鉄の「顔」とも言えるのではないでしょうか。

さて、野町を後にした電車は、金沢の街中を左へ右へ、身をくねらせながらゆっくりと走ってゆきます。日曜朝の下り電車ということもあり乗客もまばらで、それもワンマン運転のため乗り降りには前の車両が便利なせいか、2両目は私しか乗っていませんでした。

これ幸いと、ケータイで写真を撮りまくる私。
がらんとした車内。
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しかし走り出せばごらんのとおり。
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揺れに揺れてピントを合わせることもままなりません。
しかしこの揺れも、電子音ではない正真正銘の踏切の「鐘」も、駅進入時に車輪をきしませてスプリングポイントを割り出し対向列車と交換する風景も、地方私鉄らしくていいなあとひとり悦に浸っている私でした。

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気づくと電車は、金沢の街を抜け出し、田園地帯の直線コースをかっ飛ばしていました。
車窓を眺めていると、不意に私のイメージする「愛甲の車窓」のような風景が現れたのでパチリ。
以前、実地踏査にてご紹介した愛甲千頭あたりの車窓は、こんな感じになると思います。

そして電車は、終点の鶴来へ。
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ここで傘を野町の駅の待合室に置いてきたことを思い出しましたが、もはや機能しないものなので、いまさらどうでもいいやと思いました。(が、ある意味ゴミを駅に押し付けた形に…駅員さん申し訳ない…)
駅周辺をふらふらしていると、私はとんでもないものを見つけてしまいました。
それは…
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(うほっ…)
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(おおっ)
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(へぇー)
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(あああ…)
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(あわわ…)

旧型車が3両、側線に押し込められて停まっていました。
「…なんということか! 鶴来で降りてよかった!」
野町で加賀一の宮行きを待っていたら、彼らの姿をケータイに収めることはなかったでしょう。
(帰宅後、ネットで調べたところ、張り上げ屋根のクルマはモハ3751・3752、残りの1両はモハ3762で、予備車として残されているとのこと。例の「バイブル」を見ればもっと詳しい情報が載っているのですが、残念ながら実家に置きっぱなしなのでした…ちなみにこれらの画像はすべて公道から撮影)
とにもかくにも、「まだ残っていたのか」
バイブルの中でしか見たことのなかったクルマたちが、今、目の前に…まさに夢心地。
残念ながらデキは民家の陰に隠れてしまい撮影することはできませんでしたが、これら旧型車たちと出会えただけでも、私は大満足です。

思いがけず旧型車たちと出会い、なかば陶然としていた私でしたが、気を取り直して加賀一の宮までの道を歩き始めました。

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まさに地方私鉄の駅といった感のする鶴来駅構内(公道から撮影)
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いい感じに山へと延びる線路。愛甲電軌中津線の田代以遠は、こんな感じになるのではないかなと思いつつ撮影。左の建物は病院。

20分ほど歩いたでしょうか。
写真を撮りつつ、のたくたと加賀一の宮駅の少し前まで来たときでした。
「…チンチンチンチン」
突然、踏切が鳴り始めました。
加賀一の宮で乗る予定の電車が追いかけてきたのです。
(やばい・・・!)
慌てる私。
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(待ってぇ)
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(駅入っちゃった…)

急ぎ足で駅へ向かうと、折り返しまでにはしばらくの時間があることがわかり、なにも慌てることはありませんでした。「ケータイで調べればよかったんじゃないか…」と思いつつ、貫禄のある加賀一の宮駅の駅名標(?)を撮影。
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かつて鉄路は、ここ加賀一の宮で金名線と名を変えてこの先の「白山下」まで延びていましたが、集中豪雨の影響だかで橋脚の強度が低下したため廃止になってしまったそうです…。

この「金名」の名の由来は、ずばり「金沢と名古屋」
この2都市を結ぶことになっていたら、はたしてこの路線の姿はどうなっていたでしょうか…
想像するだけで胸躍るのは架鉄野郎の運命(さだめ)でしょうか。

石川線も元々は寺井へいく能美線や金沢市内線(路面電車)などと総合して「石川総線」と呼ばれていました。それが次々と廃止になり、今は石川線のみが残されたわけです。

そんな過去の栄華に思いを寄せながら、私は野町行きの人となったのでした。

明日へと続く(はず)。
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by aikoh_denki | 2005-12-06 21:29 | 旅行


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