愛甲の架空鉄道あれこれ

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2010年 01月 14日

余生

b0060079_2245365.jpg【キハ45 3】と【キハ28 ????】 1993年8月24日 土浦駅にて
土浦駅の側線で憩うキハ45とキハ28。共に水郡線から流れてきたものである。
かつては急行「ときわ」や「奥久慈」として上野まで乗り入れていた水戸区のキハ28・58も、この頃には定期運用で常磐線を走ることもなく、常武線のローカル輸送に余生を送る毎日であった。

しかし、そんなキハ28・58も、年に1度だけ、思い出したように常磐線の本線を疾駆することがあった。
夏の海水浴シーズンに、常磐線の上野や我孫子から勝田を通り、茨城交通湊線に直通する「快速あじがうら」号である。
この列車は、かつての急行運用をほうふつとさせるような高速運転で常磐線内を駆け抜けたり、湊線内では茨交の気動車との併結も見られるなど、ファンにとっては楽しいものであった。

しかし、次第に海水浴客は自家用車に流れ、また、諸事情によりJRの気動車の社線乗り入れが自粛される事態に至り、この楽しい列車も運転が取りやめとなってしまったのは残念であった。

【作者メモ】
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# by aikoh_denki | 2010-01-14 22:48 | JR常武線
2010年 01月 13日

異端

b0060079_21282836.jpg【キハ38 100?】 1992年3月20日 騎西駅にて
騎西駅にたたずむ、八王子行きのキハ38。上り久喜行きとの交換待ちである。

このキハ38という車両は、典型的な「異端児」である。
国鉄分割民営化の直前に、状態の悪いキハ30・35の足回りを流用して誕生した車両で、登場時は「オンボロばかりの八高・常武線に現れた救世主」とまで言われた。
しかしながら、実際にはわずか7両という中途半端な数で製造が打ち切られ、結果的に八高・常武の両線には大量の雑多な気動車が残されることになった。(結果的にそれが常武線の趣味的な面白さにつながったのだが)
しかし、それでもキハ38は、当時の常武線にとっては紛れもない「最新型車両」であったのだ。

うんざりするほど見飽きたタラコ色の中に、颯爽と出現した白い車体。ジンカート処理の施された窓回りに角型ライトケースの組み合わせ。
それは当時の最新鋭電車・国鉄205系と211系の流れをくむものであり、当時の「最新型車両」の要件を具備していた。
車内にはバス用とはいえ冷房も設置され、それまでうだるような炎熱地獄にさいなまれていた乗客たちを歓喜させた。ただ、3ドアの通勤型車両はバス用クーラーとっていささか荷が重かったらしく、頻繁に故障を起しては「非冷房車」に零落することもあったが、今ではそれもいい思い出である。

その新しさゆえに、のちに常武線の旧型気動車が淘汰された際にもキハ38だけは生き延びて、かつての先輩たちが千葉から高崎にやってきたのとは反対に、千葉は木更津へと転出していった。

【作者メモ】
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# by aikoh_denki | 2010-01-13 21:28 | JR常武線
2010年 01月 11日

残暑

b0060079_0493167.jpg【キハ3? ???】 1991年9月22日 水海道-下総岡田間にて
秋とはいえ、まだまだ強い日差しが降り注ぐ中、関東鉄道常総線をオーバークロスする築堤を駆け上がるキハ30もしくは35。
こうして思い思いに開け放たれた窓を見ると、かつてのあの非冷房車の「暑さ」を思い出すのは筆者だけだろうか。

常武線とは水海道で接する関東鉄道常総線は、全線非電化ながらも取手-水海道間は首都圏の通勤路線として全線が複線化されており、1980年代までは全国各地の国鉄・私鉄からかき集められた気動車たちが、常武線以上の魑魅魍魎ぶりを発揮しつつ走り回っていたが、この頃になると、相模線電化や国鉄清算事業団で余剰になったキハ30・35・36が導入されはじめ、車種の統一が始まっていた。

ゆえに水海道では、関鉄カラーと朱色、あるいは相模線色のキハ30・35が並ぶこともあり、関鉄の水海道機関区の構内には、譲渡はされたものの入籍することもなく、部品取り車として無残にも「鳥葬」に付されたキハ30や35の姿も見られた。

そんなふうに、かつての僚友と毎日、顔をあわせていた常武線のキハ30・35であったが、やがて自らも関東鉄道に移籍することになろうとは、思いもしなかったことであろう。

【作者メモ】
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# by aikoh_denki | 2010-01-11 00:50 | JR常武線
2010年 01月 10日

夕立

b0060079_2232277.jpg【キハ23 517】 1993年8月24日 下総岩井駅にて
土砂降りの夕立の中、下総岩井駅に姿を見せた水海道行きのキハ23。
この日はあまりの雨の強さに、しばし列車の運転を見合わせたほどであった。

さて、水海道-久喜間は、長大な常武線の中でも最も輸送密度が低い区間であり、昼間は単行や2両編成の列車が30分から1時間おきに運行されていた。
夕方はさすがに3両編成が出動していたが、それでも土浦口・高麗川口ともに最大5両編成が組成されていたことを思うと、やはり県境というものは輸送上の境界なのだなと、妙に感心したものである。

「混結」の項の車両とは同じ形式で、塗装の見切り(塗り分け)は同一なものの、塗色が異なる。
もともとこれらキハ23・45がまとっていた水郡線カラーは、同じ色調であっても、ラインの見切りや幅が微妙に異なっているなど、非常に凝った塗装であった。
それが引き継がれたのかは不確かであるが、常武線でも同じく奇妙なカラーリングが採用された。

【作者メモ】
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# by aikoh_denki | 2010-01-10 22:04 | JR常武線
2010年 01月 09日

異色

b0060079_23512989.jpg【キハ30 ???】 1990年9月23日 武蔵吉見駅にて
真っ黒い排煙を吹き上げ、エンジン音もにぎやかに武蔵吉見駅を去ってゆく八王子行き。
よくよくネガを見てみると、真ん中には相模線色のキハ30が挟まれているのに気がついた。

一時、個人的に相模線色が、そのまま八高線と常武線の線区カラーにならないものかと思っていたことがある。いささか野暮ったいとはいえ、朱色5号よりもはるかに明るくてスマートな相模線色が、八高線や常武線のイメージアップにつながるのではとの思いからだった。

だが、やはりというか当然というか、それは筆者の勝手な思い込みに過ぎなかった。
いつまで経っても既存のキハ30系列は朱色5号のままで、一向に塗り替えられる気配がない。
それどころか、全般検査上がりの車両までが、相模線色に塗り替えるどころか朱色5号でピッカピカに塗り直されて出場してきたときには閉口した。
それらの塗り上がりはきれいでも、またすぐに排煙のススや油まみれになって、言葉は悪いが「いつものこきたない朱色」に戻った。

だが、今となっては、いろんな色の、いろんな形式の気動車が手をつないでいたということに価値があったのだと、やはり勝手に思い直している。

【作者メモ】
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# by aikoh_denki | 2010-01-09 23:52 | JR常武線
2009年 11月 22日

編成美

b0060079_1115663.jpg【キハ30 503】 1992年3月20日 五霞駅にて
曇り空の元、五霞駅で発車を待つ土浦行きのキハ30 503以下3連。

3ドアロングシートという居住性の悪さゆえ、昼間はもっぱらキハ23・45やキハ40との混成運用がメインであったキハ30・35であるが、朝夕の通勤通学列車には、逆にその収容力を買われて本系列が重用された。

最低でも3両、最長で5両編成を組成し、各駅のホームにうごめく高校生を一気に呑み込むその姿は、まさに「通勤型気動車」の面目躍如といったところであった。
特に平日及び土曜朝7時台の最混雑時間帯は、キハ30・35のほぼ独壇場であり、朝の列車ではしばしば同形式車による編成美を見ることができたのである。

もっとも、国鉄型気動車に「編成美」などという言葉は不釣合いなのだが。

【作者メモ】
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# by aikoh_denki | 2009-11-22 01:22 | JR常武線
2009年 10月 31日

混結

b0060079_15524397.jpg【キハ23 513】 1993年8月28日 高麗川駅にて
続いて紹介するのはキハ23。
高麗川駅2番線にて、久喜行きとして発車を待っているシーンである。
元は水郡線用として常陸大子区に所属していたが、キハ110系の台頭により高崎区に転属してきた。
客用ドア位置の関係でワンマン化改造が難しく、他路線では厄介者扱いされたキハ23・45であるが、常武線ではワンマン改造の必要もなく、また、2ドアセミクロスシートが常武線の輸送形態に合致していたため、現場ではむしろ重宝されたようである。一部の車両には車体更新工事も行われていた。

なお、写真ではわかりにくいが、この日コンビを組んでいたのはキハ28。
ついでにいえば、その後ろにさらにキハ40が連なっている。見事な混結編成であった。

キハ28・58といえば、当時、常武線では唯一の「まともな」冷房車であった。
一応、冷房車としてはキハ38もいたが、バス用クーラーを転用したためか冷房故障が頻発し、信頼性は高くなかった。

また、キハ28・58は急行形ゆえの居住性のよさから、閑散時間帯は乗客から歓迎された。
しかし、2ドアデッキ付きのため朝夕のラッシュ時は使用できず、運用が限定されるため、他の国鉄型気動車に比べて、早期に淘汰されたようである。
事実、この写真を撮影してからしばらくすると、キハ28・58の姿を見なくなった。

【作者メモ】
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# by aikoh_denki | 2009-10-31 15:53 | JR常武線
2009年 10月 01日

相模線色

b0060079_2002372.jpg【キハ35 210】 1991年11月3日 鴻巣駅にて
そういえば、クリーム色1号に青20号の帯を締めた、いわゆる「相模線色」のキハ30・35が高崎に転属してきたのも、ちょうどこの頃であった。
1991年3月16日の相模線電化によって茅ヶ崎区を追われてきた一団が、タラコ色の気動車たちに伍して活躍しはじめた。
相模線のキハ30・35には、ステンレス車体のキハ35 904や、おでこにタイフォンが増設されたキハ30 26、それに車番は失念したが、1灯式シールドビームを持つ車両など、なかなかの個性派が揃っていたのを思い出す。

話は変わって、朝一番の鴻巣発高麗川経由八王子行きに充当される車両は、前夜の22時過ぎに高崎区を出発し、いつもは倉賀野で八高線に入るところを、鴻巣への送り込みのため高崎線をそのまま直進、午前0時前に鴻巣駅に到着していた。
この列車は回送ながらも、深夜、架線下を堂々と疾走する国鉄型気動車ということで、鉄道ファンの間では一種の「伝説」として語り継がれていたが、運用の効率化という流れの中で、いつしか本当の「伝説」になってしまった。
こうして人知れず相模線色の気動車も、高崎線の架線下を走っていたのである。

【作者メモ】
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# by aikoh_denki | 2009-10-01 20:25 | JR常武線