カテゴリ:JR常武線( 19 )


2010年 03月 24日

【作者メモ】追加のお知らせ

JR常武線の各記事に、それぞれ写真にまつわるエピソードや雑記を書き加えることにしました。
逐次、各記事に【作者メモ】というリンクを追加していきますので、よろしければご笑覧ください。

なお、Exciteブログの構造上、各記事へのアクセスが面倒かと思いますので、直接リンクを貼っておきます。
【作者メモ】の追記が終わった記事から、こちらに追加していきます。

JR常武線 -関東最後の国鉄型気動車の王国を訪ねて- / 沿革

以下、2010年10月31日22:05に追記。
主役 / 相模線色 / 混結 / 編成美

以下、2010年10月31日23:46に追記。
異色 / 夕立 / 残暑

以下、2010年11月3日0:36に追記。
異端 / 余生 / 邪険

以下、2010年11月3日21:24に追記。
灼熱 / 交換 / 新鋭
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by aikoh_denki | 2010-03-24 20:56 | JR常武線
2010年 02月 20日

エピローグ

b0060079_0251678.jpg【常武線を走っていた気動車たち】 常武線沿線にて随時撮影
常武線から国鉄型気動車は去っていったが、それでも筆者は、いい風景を観ることができたと思っている。

華やかさとは無縁な、煤にまみれた旧い気動車たちが、毎日黙々と地域輸送に徹していた。
いうまでもなく、筆者は鉄道ファンである。
ゆえに、「鉄道車両」としての常武線の国鉄型気動車たちが好きだった。
だが、本当は、彼らを通じて、「鉄道のある風景」を感じ取るのが好きだったのだろう。

春の陽光の中でも、夏の炎熱の中でも、秋の月明かりの下でも、冬の極寒の中でも、そこには鉄道を使う人々の日常の息遣いが感じられる。
毎日変わることのない日常が、それでも確実に時を刻み続ける証として、鉄道は走っているようにも思える。

常武線に限らず、地方路線ではよくあることかもしれないが、常武線と、そこを走っていた旧い国鉄型気動車を通じて観ると、鉄道を取り巻くあらゆる風景が、なぜか身近に、そしていとおしく感じられた。

乗客や沿線の人々の一挙一動。
鉄路を担う鉄道員たちの眼差し。
そして路線を取り巻く街並みや自然。

そして、そんな風景が、当たり前にそこに存在していることのありがたさ。

筆者が「新型気動車」キハ110系を嫌った理由は、そんな常武線の日常を毀されることが嫌だったからに他ならない。
だがキハ110系も、登場から14年を経て、もう十分に常武線の日常に溶け込んだことだろう。
それが今の常武線の日常だというのなら、嫌う道理はないはずだ。

鉄道の魅力は、車両だけではない。
それをとりまく日常や光景にこそ、鉄道の真の魅力がある。
日常あっての鉄道だということ、そして鉄道あっての鉄道車両であり、我々鉄道ファンだということを、決して忘れてはならない。

…そろそろ乗りに行くとするか、大好きな常武線に。

JR常武線 -関東最後の国鉄型気動車の王国を訪ねて- -完-
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by aikoh_denki | 2010-02-20 01:00 | JR常武線
2010年 02月 20日

新鋭

b0060079_0105734.jpg【キハ111 107】 1996年6月12日 土浦駅にて
長らく国鉄型気動車が割拠していた常武線に、ついにこの日がやってきた。
1996年3月16日をもって、JRが誇る高性能気動車・キハ110系列が高崎区に大量投入され、八高・常武線用として長らく使われていた国鉄型気動車を一掃したのである。

同時に八高線は八王子-高麗川間が電化され、川越線や青梅線と一体化した運転形態に移行し、八王子-高麗川-土浦といった八高・常武を走りぬくロングラン運用は消滅。
こうして、生まれてこのかた兄弟同然のように扱われてきた八高線と常武線は、バラバラに寸断されてしまった。

そしてなによりも、「関東最後の国鉄型気動車の王国」が瓦解したという事実。
時代の流れとはいえ、そこにはもう、筆者の観たい風景はなかった。
ゆえに筆者はこのキハ111-107を撮影して以来、常武線に乗るどころか、訪ねることもしていない。

【作者メモ】
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by aikoh_denki | 2010-02-20 00:11 | JR常武線
2010年 02月 15日

交換

b0060079_2320173.jpg【キハ30 34】 1995年8月26日 武蔵笠原駅にて
灼熱の土曜の昼下がり。
部活動に向かう中学生の集団が、武蔵笠原駅の改札口を挨拶とともに次々に通り過ぎる。
委託のおばちゃん駅員は、彼らからきっぷを回収するのにおおわらわだ。
若い彼らを降ろし、対向列車を待ちつつ一息つくのは、八王子行きのキハ30。

熱を帯びた夏の風が、駅裏の田んぼで頭を垂れ始めた稲穂を撫ぜてゆく。
オイルと鉄粉にまみれた40kgレールが、夏草の中で陽炎に揺らめく。

しばらくして、構内踏切が鳴り始めた。
目をやると、二条の鈍色の上を、のそのそと巨体を揺らしてキハ40がやってくるのが遠くに見える。
キハ40を迎え、信号が変わればこちらの休憩は終了。発車時間である。

何気ない夏の風景。
だが、この夏は、常武線での国鉄型気動車とって、最後の夏でもあった。

【作者メモ】
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by aikoh_denki | 2010-02-15 23:23 | JR常武線
2010年 01月 16日

灼熱

b0060079_2011989.jpg【キハ30 34】 1995年8月26日 車内にて
「暑い…」
車内に立ち入った者は、誰もが口にした。
そして、席に着くなりみなこぞって窓を開けるのが、常武線に限らず、一昔前の鉄道の光景のひとつだった。

効きは弱いが曲がりなりにも冷房車であるキハ38が編成中にいようものなら、それだけで安堵したものである。
たまにやってくるキハ28・58の冷房車は天国のようにすら感じられた。
しかし、常武線の冷房車はしょせん少数派。
主力のキハ23・45・30・35・40には、ただの1両にも冷房は付いていなかった。

キハ40は、寒地仕様車が来ると、下段上昇・上段下降式の窓のため全開できず、がっかりした覚えがある。それに比べて暖地仕様は、上段も下段も上昇して全開できた。
キハ30・35は上段も下段も上昇して全開できたが、通常の電車でいう戸袋部の窓だけは「手をださぬよう」という無愛想な表示がしてあって、気休め程度にしか窓が開かなかった。

だが、どちらにしろ窓を開けても生ぬるい風が抜けていくだけ。
外を見れば線路際の夏草がラジエータファンに踊り、大きな農家の庭先では子供たちが水浴びをしている。
天井の扇風機は顔だけは涼しいふりをして、暖かい風を送りつけてくる。

走行中ならまだしも、交換待ちの長時間停車などは耐えられるものではなかった。
セミの合唱とエンジン音を聞きながら、ひたすらに対向列車の到着を待つ。
じわりとにじむ汗が気持ち悪い。

だが、永遠に続くと感じられるようなそんな時間も、当たり前だが永遠ではなかった。
そして、それは今となっては、二度と体験できない時間になってしまった。

【作者メモ】
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by aikoh_denki | 2010-01-16 20:11 | JR常武線
2010年 01月 16日

邪険

b0060079_048282.jpg【キハ40 568】 1993年8月24日 土浦駅にて
別掲のキハ45とキハ28のツーショットを撮影した「ついで」に撮った1枚。
やはり水郡線から高崎区に転属した車両である。

「ついで」というのは、この当時でも、キハ30・35やキハ23・45はすでに「絶滅危惧種」として認識していたため、比較的多く撮影していたが、キハ40の一派は全国各地に大量にいたため、駅で見かけても気にも留めなかったゆえである。
むしろ、どこにいっても見かけられる、何の変哲もない車両であった。

特に常武線ではキハ40に当たると、「ハズレ」という感じすらあって、邪険にしていた。常武線詣での目当ては、あくまでもキハ30・35やキハ23・45、あるいはキハ28・58だったからである。

そしてこのキハ40、個人的には発車時のエンジン音も苦手であった。
DMH17Hを装備した系列は比較的静かに、スーッと発車するのだが、このキハ40だけはエンジンをガリガリガシャガシャ唸らせて、それでもピクリともせず、ワンテンポ遅れてようやく動き始める有様。これがなんとももどかしく、イライラさせるものであったが、今となっては現存するキハ40の大多数がエンジンの交換や高出力化改造を受けていると聞く。

そんな話を趣味誌やwebで聞くに及ぶと、やけにあの「もどかしい発車」が懐かしく感じられるというのは、あまりにも現金すぎるだろうか。

追記:
【キハ40 568】 エンジン音 1993年8月24日 小張駅にて

苦手なはずだったキハ40のエンジン音が、なぜか手元に残っていた。
どうも気まぐれで録音したらしい。
この音も今となっては昔語り。せっかくなので、あわせて公開する。
(再生の折には、音量に注意願いたい)

【作者メモ】
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by aikoh_denki | 2010-01-16 00:52 | JR常武線
2010年 01月 14日

余生

b0060079_2245365.jpg【キハ45 3】と【キハ28 ????】 1993年8月24日 土浦駅にて
土浦駅の側線で憩うキハ45とキハ28。共に水郡線から流れてきたものである。
かつては急行「ときわ」や「奥久慈」として上野まで乗り入れていた水戸区のキハ28・58も、この頃には定期運用で常磐線を走ることもなく、常武線のローカル輸送に余生を送る毎日であった。

しかし、そんなキハ28・58も、年に1度だけ、思い出したように常磐線の本線を疾駆することがあった。
夏の海水浴シーズンに、常磐線の上野や我孫子から勝田を通り、茨城交通湊線に直通する「快速あじがうら」号である。
この列車は、かつての急行運用をほうふつとさせるような高速運転で常磐線内を駆け抜けたり、湊線内では茨交の気動車との併結も見られるなど、ファンにとっては楽しいものであった。

しかし、次第に海水浴客は自家用車に流れ、また、諸事情によりJRの気動車の社線乗り入れが自粛される事態に至り、この楽しい列車も運転が取りやめとなってしまったのは残念であった。

【作者メモ】
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by aikoh_denki | 2010-01-14 22:48 | JR常武線
2010年 01月 13日

異端

b0060079_21282836.jpg【キハ38 100?】 1992年3月20日 騎西駅にて
騎西駅にたたずむ、八王子行きのキハ38。上り久喜行きとの交換待ちである。

このキハ38という車両は、典型的な「異端児」である。
国鉄分割民営化の直前に、状態の悪いキハ30・35の足回りを流用して誕生した車両で、登場時は「オンボロばかりの八高・常武線に現れた救世主」とまで言われた。
しかしながら、実際にはわずか7両という中途半端な数で製造が打ち切られ、結果的に八高・常武の両線には大量の雑多な気動車が残されることになった。(結果的にそれが常武線の趣味的な面白さにつながったのだが)
しかし、それでもキハ38は、当時の常武線にとっては紛れもない「最新型車両」であったのだ。

うんざりするほど見飽きたタラコ色の中に、颯爽と出現した白い車体。ジンカート処理の施された窓回りに角型ライトケースの組み合わせ。
それは当時の最新鋭電車・国鉄205系と211系の流れをくむものであり、当時の「最新型車両」の要件を具備していた。
車内にはバス用とはいえ冷房も設置され、それまでうだるような炎熱地獄にさいなまれていた乗客たちを歓喜させた。ただ、3ドアの通勤型車両はバス用クーラーとっていささか荷が重かったらしく、頻繁に故障を起しては「非冷房車」に零落することもあったが、今ではそれもいい思い出である。

その新しさゆえに、のちに常武線の旧型気動車が淘汰された際にもキハ38だけは生き延びて、かつての先輩たちが千葉から高崎にやってきたのとは反対に、千葉は木更津へと転出していった。

【作者メモ】
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by aikoh_denki | 2010-01-13 21:28 | JR常武線
2010年 01月 11日

残暑

b0060079_0493167.jpg【キハ3? ???】 1991年9月22日 水海道-下総岡田間にて
秋とはいえ、まだまだ強い日差しが降り注ぐ中、関東鉄道常総線をオーバークロスする築堤を駆け上がるキハ30もしくは35。
こうして思い思いに開け放たれた窓を見ると、かつてのあの非冷房車の「暑さ」を思い出すのは筆者だけだろうか。

常武線とは水海道で接する関東鉄道常総線は、全線非電化ながらも取手-水海道間は首都圏の通勤路線として全線が複線化されており、1980年代までは全国各地の国鉄・私鉄からかき集められた気動車たちが、常武線以上の魑魅魍魎ぶりを発揮しつつ走り回っていたが、この頃になると、相模線電化や国鉄清算事業団で余剰になったキハ30・35・36が導入されはじめ、車種の統一が始まっていた。

ゆえに水海道では、関鉄カラーと朱色、あるいは相模線色のキハ30・35が並ぶこともあり、関鉄の水海道機関区の構内には、譲渡はされたものの入籍することもなく、部品取り車として無残にも「鳥葬」に付されたキハ30や35の姿も見られた。

そんなふうに、かつての僚友と毎日、顔をあわせていた常武線のキハ30・35であったが、やがて自らも関東鉄道に移籍することになろうとは、思いもしなかったことであろう。

【作者メモ】
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by aikoh_denki | 2010-01-11 00:50 | JR常武線
2010年 01月 10日

夕立

b0060079_2232277.jpg【キハ23 517】 1993年8月24日 下総岩井駅にて
土砂降りの夕立の中、下総岩井駅に姿を見せた水海道行きのキハ23。
この日はあまりの雨の強さに、しばし列車の運転を見合わせたほどであった。

さて、水海道-久喜間は、長大な常武線の中でも最も輸送密度が低い区間であり、昼間は単行や2両編成の列車が30分から1時間おきに運行されていた。
夕方はさすがに3両編成が出動していたが、それでも土浦口・高麗川口ともに最大5両編成が組成されていたことを思うと、やはり県境というものは輸送上の境界なのだなと、妙に感心したものである。

「混結」の項の車両とは同じ形式で、塗装の見切り(塗り分け)は同一なものの、塗色が異なる。
もともとこれらキハ23・45がまとっていた水郡線カラーは、同じ色調であっても、ラインの見切りや幅が微妙に異なっているなど、非常に凝った塗装であった。
それが引き継がれたのかは不確かであるが、常武線でも同じく奇妙なカラーリングが採用された。

【作者メモ】
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by aikoh_denki | 2010-01-10 22:04 | JR常武線