愛甲の架空鉄道あれこれ

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2008年 06月 05日

愛甲の鉄道趣味黎明記(期) 第1話

mixiでは鉄道ネタは書かないという誓いも、とうに忘却の彼方に。
気がつけば向こうには乗車記録は上がってるわ、動画は上がってるわで、本末転倒甚だしいものがあります。

まあ、mixiのくせに半ば非公開でやってる以上、向こうで鉄道ネタを書いても誰も読めないので無意味なんですがね。ただ、どこから流れてきたのかもよくわからない、得体の知れない(業)者どもが跳梁跋扈するようになって、もはやmixiのSNSとしての理想とシステムは瓦解したに等しいので、あそこで無制限にプライベートを公開するのは非常に怖い。

というわけで、たまにはこちらにも何か書いてみようと思った次第。
最近は架鉄ネタもすっかり干からびているので、実在の鉄道について語ってみましょうか。

題して、「愛甲の鉄道趣味黎明記(期)」。
わたくし愛甲が、鉄道趣味に足を踏み入れた頃の、日常を記録した写真に簡単なコメントを添えて公開していこうという趣旨です。

…「架空鉄道あれこれ」と銘打っている以上、ホントは実在鉄道ネタは極力取り上げたくないのですが。
意地はあってもネタがない。

記念すべきか禁忌すべきか判断しかねますが、黎明記の第1話は「電化直前の相模線」です。



さて、時は1991年2月17日(月)…らしいです。
何で月曜なのに駅にいたんでしょうか。もしかしたらカメラのカレンダーが狂ってたのかもしれません。※調べたら日曜でした。訂正します。(2010年10月31日・記)
ちなみに不精・愛甲は、このとき小学2年です。
この頃から筋金入りのキハ好きだったのでした。

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茅ヶ崎駅にて。このころ既に架線が張られており、いわゆる「架線下気動車」でした。

この列車に揺られて、一路橋本へ。
今でこそ電車になって1時間を切りましたが、この頃は全線を乗り通すと1時間半とか2時間近くかかった記憶が。

そして一気に橋本へ。
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乗ってきた列車を撮影。相模線のキハは正面に車番が文字通り斜めに書いてありましたが、正面に書かれた車番は数あれど、他に斜めに書かれた車番というのは、寡聞にして知りません。
そういやこのキハ35 211って、マグロ絵で描きましたね。


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ドアは閉まっているのに側灯は点灯…半自動扉は相模線の伝統。電車になってもしっかりと引き継がれました。

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意味不明写真3連発。どうしてガキはこんなどうしようもない写真を撮るんでしょうね。

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一旦ホームを離れたようです。しかし、時刻表が模造紙に手書きとは…。手書きの時刻表といい、本数といい、文字通りローカル線です。ちなみに行き先は茅ヶ崎、厚木に南橋本行きなんてのもありました。

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ホームに戻り、帰りの列車を迎えます。キハ30 14? もはや車番を知る術すらありません。

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いつも後ろ髪を引かれる思いで降り立った厚木駅のホーム。乗ってきたキハ30 26は、タイフォンが増設されていました。高岡あたりから来たのかしら。

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おまけにこいつを。往路、原当麻だか番田で交換待ちをしていたのは、出来立てほやほやな205系500番台の回送(試運転)列車でした。
こいつを見かけて、うち捨てられたような非電化ローカル線に未来を垣間見たのと、「電化」という事実を受け入れざるを得ないという現実が、小学2年の愛甲少年の中で錯綜したことを、今でもはっきりと覚えています。

国鉄時代を懐かしむ風潮が、昨今の鉄道趣味のひとつの流れであることは誰もが首肯することでしょうが、もはやこういった民営化直後の日常風景ですら、郷愁と懐古の対象となりうることに、時の流れの無情を感じます。

もっとも、この写真を撮った時は、よもやこんな形で誰かにお見せすることになるとは思いもしませんでしたが。

さて、今日はこんなところで。
また折りを見て、「日常」を収めた写真をアップロードしていこうと思います。
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by aikoh_denki | 2008-06-05 00:53 | 実在の鉄道


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