愛甲の架空鉄道あれこれ

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2010年 01月 13日

異端

b0060079_21282836.jpg【キハ38 100?】 1992年3月20日 騎西駅にて
騎西駅にたたずむ、八王子行きのキハ38。上り久喜行きとの交換待ちである。

このキハ38という車両は、典型的な「異端児」である。
国鉄分割民営化の直前に、状態の悪いキハ30・35の足回りを流用して誕生した車両で、登場時は「オンボロばかりの八高・常武線に現れた救世主」とまで言われた。
しかしながら、実際にはわずか7両という中途半端な数で製造が打ち切られ、結果的に八高・常武の両線には大量の雑多な気動車が残されることになった。(結果的にそれが常武線の趣味的な面白さにつながったのだが)
しかし、それでもキハ38は、当時の常武線にとっては紛れもない「最新型車両」であったのだ。

うんざりするほど見飽きたタラコ色の中に、颯爽と出現した白い車体。ジンカート処理の施された窓回りに角型ライトケースの組み合わせ。
それは当時の最新鋭電車・国鉄205系と211系の流れをくむものであり、当時の「最新型車両」の要件を具備していた。
車内にはバス用とはいえ冷房も設置され、それまでうだるような炎熱地獄にさいなまれていた乗客たちを歓喜させた。ただ、3ドアの通勤型車両はバス用クーラーとっていささか荷が重かったらしく、頻繁に故障を起しては「非冷房車」に零落することもあったが、今ではそれもいい思い出である。

その新しさゆえに、のちに常武線の旧型気動車が淘汰された際にもキハ38だけは生き延びて、かつての先輩たちが千葉から高崎にやってきたのとは反対に、千葉は木更津へと転出していった。



<以下、作者メモ>
【実車番号:キハ38 100?(不明)】 1992年3月20日 八高線金子駅にて撮影。

キハ38は、八高線に行くたびに見かけていましたが、あまり乗った覚えがありません。
やはり、キハ30・35に足が向いていたからでしょう。
同じ編成の中にキハ30・35と38がいれば、確実に前二者に乗っていました。
この写真は、2両ともキハ38。当時でいう「ハズレ」編成でした。今から思えば贅沢ですが。

さて、話は変わって、八高線を走った気動車について。
昭和末期から平成初期にかけての八高線では、キハ30・35・38ばかりが使用されていたのかというと、実はそういうわけでもないようです。
有名なところでは、高崎に5両ほど配置されていたキハ40が思い浮かびます。
しかし、webや書籍を渉猟すると、意外にもキハ20や45なども、キハ30・35やキハ38と手をつないで走っていたことが記録されています。
キハ20に関しては、足尾線用として高崎に所属していましたし、キハ45も、なぜか1両だけ、短期間ではありますが高崎に所属していたことがあったようです。
(キハ45 62が1987年~1990年にかけて、高崎に所属していた模様)

キハ30・35とこれらの一般型気動車の混結は、それこそ高岡や高松など全国各地で見られたのですが、キハ38との組み合わせとなると、当然、八高線でしかお目に掛かれないものでした。
高崎区所属のキハ20とキハ45は、どちらも平成の初頭には廃車になっていますので、キハ38の登場時期を考えると3~5年ほどの競演期間だったと言えます。

キハ30・35・38に加え、20・40・45…。
こう見直すと、「キハ30・35・38ばかりでつまらない」と言われた八高線が、「JR常武線」も真っ青になるようなぐらいの百鬼夜行ぶりを見せた時期が、(ほんのわずかですが)あったのかもしれません。
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by aikoh_denki | 2010-01-13 21:28 | JR常武線


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