愛甲の架空鉄道あれこれ

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2009年 10月 01日

相模線色

b0060079_2002372.jpg【キハ35 210】 1991年11月3日 鴻巣駅にて
そういえば、クリーム色1号に青20号の帯を締めた、いわゆる「相模線色」のキハ30・35が高崎に転属してきたのも、ちょうどこの頃であった。
1991年3月16日の相模線電化によって茅ヶ崎区を追われてきた一団が、タラコ色の気動車たちに伍して活躍しはじめた。
相模線のキハ30・35には、ステンレス車体のキハ35 904や、おでこにタイフォンが増設されたキハ30 26、それに車番は失念したが、1灯式シールドビームを持つ車両など、なかなかの個性派が揃っていたのを思い出す。

話は変わって、朝一番の鴻巣発高麗川経由八王子行きに充当される車両は、前夜の22時過ぎに高崎区を出発し、いつもは倉賀野で八高線に入るところを、鴻巣への送り込みのため高崎線をそのまま直進、午前0時前に鴻巣駅に到着していた。
この列車は回送ながらも、深夜、架線下を堂々と疾走する国鉄型気動車ということで、鉄道ファンの間では一種の「伝説」として語り継がれていたが、運用の効率化という流れの中で、いつしか本当の「伝説」になってしまった。
こうして人知れず相模線色の気動車も、高崎線の架線下を走っていたのである。



<以下、作者メモ>
【実車番号:キハ35 81】 1991年2月17日 相模線橋本駅にて撮影。

鴻巣駅などと嘘をつきましたが、見ての通り橋本駅です。
1980年代の国鉄の橋上駅舎は、どこも似たような姿かたちをしているので「嘘」をつき易いのです。

さて、この写真、非電化末期の相模線のひとコマです。
もう頭上には架線が張られ、新しい電車(205系)の試運転も始まっていましたが、相模線ではこの直前(1991年初頭ぐらい?)まで通票閉そくを使用していました。俗に言う「タブレット閉そく」です。

着々と進む電化工事を横目に、交換駅で取り交わされるタブレットキャリアを見て、子ども心に「電化後もタブレット閉そくなら面白いのに…」などと思っていましたが、
さすがにそのような画竜点睛を欠くがごとき事態にはならず、電化直前にCTCに切り替えられてしまいました。
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by aikoh_denki | 2009-10-01 20:25 | JR常武線


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